勝手にロマンティック

self-satisfaction diary

12月11日午前8:00頃、14年間と2ヶ月間一緒に過ごしてきたトーイが天国へいってしまった。

8日の夕方頃、母からトーイが入院したと連絡が入った。肺水腫と診断された。すでにかなり肺に水が溜まってしまっていて、心臓が圧迫されて状態が悪くなっていた。利尿作用のある薬を投与しようとしても、あいにく腎臓もかなり悪くなってしまっていて、投与できない状態だった。

8日の朝にいってきますと頭を撫でて出社し、元気な姿で会えたのはその日が最後になってしまった。木曜日、金曜日と母が面会に行ってくれて、症状を聞いてくれていた。12月から仕事内容が新しくなり、少し負担が増えていたこともあり、19:00までの面会時間に間に合わず、有給を取ることも出来なかった。

もう長くないことが分かり、金曜日の夜に母と話し合いトーイは家が大好きだったから多少苦しくても家にいた方がいいのではないかという結論に至り、11日の土曜日に病院の先生に家に連れて帰りたいということと酸素室の用意の仕方を教えてほしいと伝えるつもりだった。前々から母が家に連れて帰りたいと言っていたこともあり、家に連れて帰れる状態にするために金曜日の夜から少し強めの心臓の薬を投与していた。

11日の朝、起きてすぐに病院から着信がありトーイが吐血して倒れたと連絡があった。すぐに病院へ向かったが、着いた頃にはもう病院のベッドに横たわっていた。意識がある状態なのかは分からなかったがまだ身体は温かかった。家族で代わる代わる抱っこして、点滴も外してもらってタオルに包んで家に連れて帰った。家に着いたらもう身体は冷たくなっていて、硬直がはじまっていた。なによりも家が大好きな犬だった。小さな身体で家中を歩き回り、つねに誰かの近くにいた。愛らしくて強い意志を持つ聡明な犬だった。小さな身体でよく頑張ってくれた。生きている時も、もう冷たくなってしまっている今もいつも舌をちょろっと出していた。ふわふわで黄金色の毛並みは今もずっと変わらない。肉球からするクッキーみたいな香ばしい香りもしている。なによりも大切な存在だった。永遠はないと知っていてもずっと一緒に居たかった。あんなにいつもそばに居てくれたのに、最後は病院でひとりぼっちにしてしまった。最後は家族全員で会いに行けたが、声が届いていたかはトーイにしか分からない。仕事なんかどうでもいいと割り切って、金曜日に午後休を取ってお見舞いに行けばよかった。生まれてはじめてボーナスが出たから、お家に帰ってきたら美味しいものをたくさん食べさせてあげたかった。私はいつも仕事へ行く前にトーイの肉球の匂いを吸い込んでから会社へ行っていた。なによりも愛しくて、何にも変えられない存在だった。

ずっと家に置いておくわけにもいかず、明日家族で火葬場へ連れて行くことになった。もう形が無くなってしまったら、抱っこできなくなってしまうし、肉球も触れなくなる。感情が追いつかない。

前言撤回

この幸せをあと1年で区切りをつけるなんて言っていたけど今日の大豆田とわ子をみてそんなのやーめぴとなった。別に形にならなくてもいい。私の心地よさは私のものだし、付き合ったり結婚という枠にはまらなくたっていいと思えた。相手が嫌な思いをしていたら即やめよう!ということだけを心に残して、私はこの寂しくて心地の良い関係を続けられるだけ続ける。今まではこのままじゃダメだ!区切りを付けようと自分で連絡を切ったり距離を置いたりしてどうにかやり過ごして、また新しい恋をしてを繰り返していたけど、数年経ってまた同じ場所に戻ってきた。これだけで自分は誰を好きなのか、誰と一緒にいるのが楽なのかは十分わかる。今も会えることになったら心が躍る、私とあの人の残像が残る場所を愛おしく感じる。

高校生になったばかりの頃の私は漫画や周りの恋人がいる人たちの話を聞いたりしていて、私たちはおかしいのか、私は本当は好きじゃないのかも、と不安になる日々を送っていたが人が人を愛おしく思うことって別に型なんてないはずだ。もしも過去の自分に会えるんだったら教えてあげたい。私は1人が大好きだけど寂しい時は寂しいしずっと無敵スター状態ではいられないタチの人間で、でも別に誰かとずっと一緒にいたいわけではない。1人が好きでも恋だってする。でもそれでもいいじゃないか〜〜と気持ちが軽くなった。研修で心が疲労している今このドラマを観ることができて本当によかった。

5月の記憶

楽しかった5月が終わる。焼肉後に土砂降りの雨が降ってダイソーで渋々300円の傘を買ったら最寄駅に着く頃には晴れていたこと、仕事後に映画を観に行ってシンジくんのウジウジシーンが長すぎて暗闇の中で2人で顔を見合わせて「まだおわんないね」ってヒソヒソ話をしたこと、「通勤時間が長いのは疲れるから一緒に会社の近くでシェアハウスしようよ」って2人で家の近くの道路でスーモで物件を探したこと。私は5月前半のこの記憶を冷凍保存して5月の後半も延命していた。着せられた感のあるスーツを身につけて1日のほとんどを誰かと過ごす事が日課になってまだたった2ヶ月、されど2ヶ月。メッセージで連絡を取るようになってからは1年ほど経つ。

多分冗談なんだろうなと思いながらも予定していた貯金額を少し増やした。確信があるわけでもないのにスーモで物件を探したり家電を調べている。6月もこのジョークで生き抜けるかな。

来年の今頃はもう実家には居ないと思う。1人でも私は新しい場所へ移住する。私はこのままだときっと幸せになれないから。ただ実家にいると諦めがつかない。辛いのも楽しいのもこの1年で満喫しておわりにしようと思う。

ある1日

5:00

アラームよりも45分はやく目が覚めた。家ではそれぞれの生活が始まっている音が聞こえた。朝日が照らすゴーストチェアを布団から眺めながら、夕飯のチャプチェが残っていたことを思い出す。昨日送ったメッセージへの返信が少しだけ未来がありそうな内容だったので安堵した。

5:45

洗面所戦争がはじまる前に起きる。はやくひとり暮らしがしたいと毎日この時間によく考える。

6:20

チャプチェと卵スープを食べる。

6:40

一服する。社会人になって本数が増えた。

6:50

スーツに着替える。

7:00

家を出る。

9:00-18:00

外回りだったからあっという間だった。最近ずっと食べたかったラーメンが食べられてよかった。職場環境には恵まれている(今のところ)が、息をする様に結婚とか子どもを産んだら〜なんて話をされるからやっぱりちょっと疲れる。

19:30

いつもの場所で一服してから帰る。この場所が私の今の生活を支えてくれている。これから梅雨に入ると帰りに寄れなくなるから困る。

20:00

家に帰ってiPhoneで大豆田とわ子を観る。家にあるスイカバーを食べるか否か迷う。ラーメン食べたしなと思いながらスイカバーの袋を開ける。メロンバーよりもカロリーが低いから大丈夫。

bedroom town

去年は息が詰まるほど篭っていた実家がいつの間にかベッドタウンになり、人はこうやってあっという間に歳を重ねるんだなと実感した。

4月初期の同期に囲まれた研修期間は窒息するかと思うほど苦しかったが、配属された先では呼吸ができるようになってきた。5月は2回ほど幸せな約束があったので乗り切れている。6月は乗り切れるかな。社会人になって休みが限られてくる分大事だなと思う人やものが明確になってきた。これは私の人生なので、大切な事柄を大切にして、それ以外のことは50%ぐらいで過ごしていきたい。最近、当初の予定よりもだいぶはやく実家を出ることを目標に定めたので、しばらくは貯金を怠らずに自分の心の余裕を育てていきたい。私の心を豊かにしてくれるのは、お洋服やお化粧品、大切な人たち、そして多少何かあっても揺るがない貯金が必要不可欠であることが最近判明した。ここしばらくは手に入れるべき重要な事柄を逃してしまうかもしれないけど、あまり気に留めず「またいつか出逢えるさ」ぐらいのマインドで生きていきたい。